大胆な女の子が出てくる作品をあげれば枚挙に遑がない。
しかし、大胆さのベクトルをこれほどにも間違えた作品があっただろうか?
日常の中に非日常を潜ませる手法が、昨今では一般的になりつつある。
それというのは、ギャップ(落差)によって強く印象付けられることを意識している。
もぐささんは日常の中に異なる日常を持ち込むことで日常と同化することに成功している。
授業中に、辞書に、それらは盛り込まれている。
そしてそれが、第三者によって観察されて初めて非日常化したのだ!
おなか空きましたね。
食欲旺盛な男の子は見てて気持ちがいいように、女の子においても同様だ。
しかし、履き違えてはいけない。
たくさん食べればいいというものではない。
もぐささんのように、華麗でありながら、それを誰に見せるでもない、
さながら、水面下の挙動を見せない白鳥のような振る舞いこそが素敵であると。
世の中の男性たちは、このような女性の部分が見つけられず、
結びつくはずの糸を結べないでいるのである。
もぐささんを読んだら、早速、学校で、会社で、あの娘の持っている筆記具や本が、
果たして、本当にそれであるといえるのか?心の盲点ではないか?確認してみよう。
よく観察することで、恋が始まる。そういうこともある。
おなかすいた。
「食べること。」それは原始的欲求なのだろうか?
マズローの欲求段階説において、食欲即ち生理的欲求はピラミッドの最下段に表される。
本当にそうだろうか?
否。
この、もぐささんにおいては、社会欲求及び愛の欲求、
いや、それどころか自己実現の域に達している。
ピラミッドに表されるということはつまり、揺るぎない土台(食欲)の強固さこそが、
能力や可能性を広げる上で絶対に必要だということだ。
原始的欲求の昇華(満たすだけでは不十分)こそが自己実現に繋がる
というテーゼを確立した百草さんすごい。
おなかへった。
彼女が(食物に対して)魅せる表情はまさに、好きな人に向けられるそれと同じである。
もし、意中の彼が食べることを愛しているのなら、
財布に駄菓子を潜ませて、さりげなくアピールしよう。
男の子はきっと見ているゾ!
磨き上げられた水晶の如く光放つキャラメルがコーティングされたポップコーンのように
弾ける恋が始まるに違いない。
大竹利朋先生からリプライ
@coin_eater うはーありがとうございますm(_ _)m
— 大竹利朋 (もぐささん1巻発売中) (@t_bttf) 2014, 4月 19